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筋トレおやじの明日があるさ!

バイク: オイラとバイク物語③ YAMAHA MR50編

今では信じられないだろうが、
1978年(昭和53年)当時、オイラが高校生の頃は、「バイク通学があり!」だったのだ。

オイラの高校は、高2から原付バイク通学OKだった。

そんな、高3の春、1980年(昭和55年)、

突然の「オンロードスポーツバイク」ブームが到来してきた。

若者へ向けて「ロードレーサーレプリカ」マシンが、
次から次と怒涛の新発売ラッシュ!
その中には原付も入っていた!(そんなアホな、なんでやねん!)

ブームの火付け役は、
1978年発売のスズキ GS1000じゃないかな?

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出典:Wikipedia



「エディー・ローソン」、「ウェス・クーリー」らの活躍で一躍脚光を浴びたのがコイツだ。
GS1000は、POPヨシムラ(吉村秀雄)の「ゴッドハンドパワー」で
ワークスマシンを蹴散らす強さを見せつけた。(イェーィ!最高だぜ~!!ヨシムラ最高!!)

- Wikipediaから抜粋 -
POP吉村が率いる日本が世界に誇るレーシングコンストラクター「ヨシムラ」がエンジンチューンを担当し、スズキが車体を担当してレースで好成績を残した。代表的なものではAMAスーパーバイク1979年1980年の年度優勝。デイトナのスーパーバイククラスで1978年1979年1980年1981年の優勝。1978年の第一回鈴鹿8時間耐久ロードレースでは、当時、ヨーロッパで敵無しの無敵艦隊と呼ばれボルドール24時間耐久レースで連覇していた純レーサーのホンダ・RCBを市販車改造クラスが破り優勝したことでも名を知られている。 鈴鹿8耐1980年1983年の優勝、FIM世界耐久選手権1983年は年度優勝したGS1000Rのベースとしても有名である。


コイツは、「空前のバイクブーム」の先陣を切った「記念碑的マシン」と言えるだろう。

そんな怒涛の ”バイクブーム真っただ中” にオイラ達は投げ込まれたのであった。

とにかく、
その凄まじいメーカー同士の開発競争は熾烈を極めたと言っても過言ではない。
HONDAが新技術を出した、なに~!っとYAMAHAが出す、負けじとSUZUKIが出し、KAWASAKIもガツーンと出す。
ついには、「行くところまで行った」感のある ”凄まじい” 怪物マシンが登場することになるのである。
それは、また別途。

そんな、世間のバイク熱も相まって
オイラはよりディープにバイクにのめり込んで行く。
ただお金が無いので、
ひたすらライディングテクニック磨きに徹した。

オイラは田んぼの農道に目を付けた。
自宅からバイクで10分も走ると田んぼ地帯がある。小山の麓で曲がりくねった農道があるのだ。

ここは、うまい具合に交通量がほとんど無く、
徹底的にコーナーリングを研究するのに最適だった。

オイラは、朝駆けでここを攻めにきた。早朝6時なら全く車両が通らない。
そうやって、オフロードバイクのMR50でオンロードをガンガンに攻めていたのであった。

が、やがて「マシン特性上の限界」に不満を感じることになる。
MR50はオフロードバイク用途であるため、基本設計がオンロードに向いてない。
シート高が高く、ハンドルも高いので、コーナーリング中のアクションも大げさになる。
つまり、無駄な動きが多い。

ついに、
オイラはボロボロ中古のミニトレ(GT50)を自腹で買うことにした。15,000円なり。高3の初夏だ。
お金の無いオイラには、コイツが限界だった。

コイツもオンロードバイクでは無いが、
小ぶりで重心が低く、MR50よりはオンロードに向いていた。
ここでMR50は通学専用バイクとなるのであった。


今思うと、親は寛大だったのぅ。いや、あきれ果てていたのかのぅ。
ありがとう。母ちゃん。
オイラの夢と情熱を、「肯定もせず」、「否定もせず」、見逃してくれたよね。
今のオイラには「到底真似できない肝っ玉」だよ。


オイラとバイク物語④ YAMAHA GT50編へ続く


オイラとバイク物語②
オイラとバイク物語①




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by heronx | 2014-04-23 08:56 | バイク