ブログトップ

筋トレおやじの明日があるさ!


こんばんは。

YAMAHAのグローバルサイトを見てたら、偶然、短編アニメを見つけたのじゃ。
それで、日本語サイトを見たら、3/21付のニュースリリースで、アナウンスしてたんじゃのぅ。

「モーターサイクルの楽しさを描くオリジナル短編アニメ 「Master of Torque(マスターオブトルク)」を公開」


d0333104_21052190.png



「Master of Torque(マスターオブトルク)」スペシャルサイト
http://global.yamaha-motor.com/jp/showroom/mt/
© Yamaha Motor Co., Ltd.





ビデオへのリンク

特報: Yamaha Motor Original Video Animation -Master of Torque-
第1話 アイドル ラフネス -Master of Torque- Yamaha Motor Original Video Animation
第2話 5/16 公開予定

© Yamaha Motor Co., Ltd.

アニメとバイク好きなら、見ても損はないぞ。





[PR]
by heronx | 2014-04-29 21:09 | バイク


年が明けての春、
オイラは福岡の私立大へ通っていた。
「賄い付き下宿」で学生生活を始めていた。

バイク転倒後、
地元の病院に一週間入院、そして受験勉強に集中した。
”やらねばならぬ。ならぬことはならぬものです” と言った心境だったのだろう。

夏休み、
故郷に戻った際、久しぶりに GT50 に跨った。
少し ”センチメンタル” な気分になったが、同時に ”青臭さ” を感じてバイクを降りた。

GT50
ありがとう。
オマエのおかげで「全身全霊」で取り組む、「喜び」、「厳しさ」を知った。
オイラは、そうつぶやき、GT50 に別れを告げた。
GT50 は既に無い。オイラが東京で就職した頃、兄貴の手により、”廃車処分” されたようだ。

あれから、30数年が経つ。
GT50 は今もオイラを支えている「心の柱」のひとつだ。

「好きこそ物の上手なれ」

「軽トラ」で兄貴が何気につぶやいた言葉だ。「好きこそ物の上手なれ、なんだなぁ。。オマエでもなぁ。。」
俺は「褒め言葉」だと思っている。今はそう思える。
「こんな弟でも、ここまで熱中できることがあったんだなぁ。。。」と思い、思わず呟いたんだろう。

YAMAHA GT50編、おわり。

バイクシリーズはまだまだ続くよ~


オイラとバイク物語⑦
オイラとバイク物語⑥
オイラとバイク物語⑤
オイラとバイク物語④
オイラとバイク物語③
オイラとバイク物語②
オイラとバイク物語①




[PR]
by heronx | 2014-04-26 01:41 | バイク


今では信じられないだろうが、
1978年(昭和53年)当時、オイラが高校生の頃は、「バイク通学があり!」だったのだ。

オイラの高校は、高2から原付バイク通学OKだった。

人生初の大転倒を喰らったオイラは、
病院の待合室で ”はたっ!”親切なご婦人のことを思い出した。
いないようだなぁ。。受付の人に聞いてみるか。。
オイラは受付の女性に確認した。
オイラを運び込んだ後、”用事も有りますし、失礼します” と帰りかけたそうだ。
慌てた受付の女性は、 ”連絡先だけでも” と引き留めて、確認を取ってくれたらしい。

そうだったのか。
ちゃんとお礼を言ってなかったなぁ。用事があっただろうに、わざわざ逆方向に引き返して病院までオイラを運んでくれた人。申し訳ないです
後で、ちゃんとお礼に伺います。。。

オイラは「自責」の念に胸が熱くなった。
俺は誰にも迷惑をかけずに走っていた ”ハズ” なのに。。
「慎重にも慎重を重ねる」のが俺の掟だったのに。
なんだ!このザマは。。。情けない限りだ。。。

この期に及んで、
泣けてきたのであった。
ここは病院、例え泣いてても構わないだろうが、オイラはグッと唇を噛みしめて堪えた。泣いたら負けだ。

迎えがくる間、
何度も、何度も、転倒原因を振り返った。
思い当たるフシがない。
なんだったんだ。
同じようなコーナーは経験済み。
路面のチェックもした。
進入速度も限界を超えていたとは思えない。

分からない。
敢えて言えば、「テクニックを過信した心の緩み」が原因だと結論付けざる得ない。
ライディング技術と理論を過信し、”スピリッツ(魂)” を忘れていたのだろう。
俺の中に「全身全霊」が居なくなっていたのだ。
慎重派のオイラだったハズ。ブザマ過ぎるぜ。。。

3時間近く経って、
齢の離れた兄貴が軽トラでやってきた。
最初に「免許証」情報と「電話番号」を聞かれ、受付の人が実家に電話していた。”迎えにきてください” と伝えていた。
オイラを見つけるなり、”なんしちょっとかーー!” と凄みの効いた声と顔で一喝。
”あんたはいつでも怖いよ” 兄に反抗していたオイラは黙ってうつむいていた。

病院の支払い等を済ませた兄は、
「松葉杖」と「患者服」を返却、オイラの「首根っこ」を引っ張り、急き立てるように軽トラの助手席に押し込んだ。
運転席に乗るなり
”こんバカが~! オイは仕事でいそがしかったやっど! オマエを運んでくれた「おばさん」には、後でオイからお礼すっでな!”
と、オイラを叱責。パンチを喰らうかと思いきや、「やるせない顔」をして車を発進させた。

病院を後にして、
バイクの回収に向かった。既に16時を過ぎていた。現場までは、”そこ右”、”そこ左、暫く真っ直ぐ” と、オイラがナビ役だ。
朝7時に家を出発、9時に現地着、9時30分頃にクラッシュ!、10時に病院。。。16時過ぎててもおかしくない。
現場に到着、兄貴がバイクを回収し、17時過ぎ、ようやく一路家路へ。

お互い無言の兄弟。
日が暮れ行く道を、西日を浴びながら進む「軽トラ」車内は異様な緊張感。
10月も末、東京だとかなり暗くなる17時過ぎだが、この鹿児島はまだ夕暮れ少し前って感じだ。
そんな、ゆっくりと暮れ行く ”田舎のバイパス” を、「軽トラ」は ”無言のまま” 走り続けた。

この時、兄はどう思ってたんだろうなぁ。
”まったく、このバカが。勉強もしないでバイクばっかり、いい迷惑だ!” って思ってたのかな?
それとも、少しは心配してくれてたのかな?

当時、
めちゃくちゃ兄貴に反抗していたので、会話することはほとんど無かったのだった。
50過ぎた今でも、兄貴と話すことは無い。もう、7年近くも一言も話してない。
もちろん、オイラは「東京」、兄貴は「鹿児島」という地理的問題もあるけどな。

そう言えば、朝出発前に食パン2枚食べただけで何も食べてなかった。

オイラは兄貴に一言、”はらへった。。。”


オイラとバイク物語⑧ YAMAHA GT50編へ続く


オイラとバイク物語⑥
オイラとバイク物語⑤
オイラとバイク物語④
オイラとバイク物語③
オイラとバイク物語②
オイラとバイク物語①




[PR]
by heronx | 2014-04-25 08:30 | バイク


今では信じられないだろうが、
1978年(昭和53年)当時、オイラが高校生の頃は、「バイク通学があり!」だったのだ。

オイラの高校は、高2から原付バイク通学OKだった。


人生初の大転倒
オイラはアスファルトに寝そべったまま、暫く天を仰いだ。

やっちまったな。
あんなに激しく転倒したのに ”全然痛くないな。。。”
バイクは動くかな。乗って帰れるか心配だ。。。
先ずは、ここをどかなきゃ。交通の邪魔だし、もしかしたら車に轢かれてしまう。

グローブとヘルメットを脱ぎ、オイラは上半身を起こした。
あれっ、靴が脱げてる。
バイクはどこだ?。。。辺りを見渡した。
なんと、バイクは道路の側溝にハマって「普通に停車」しているように見えた。
どんな風にしたら、こうなるの??と不思議に思いながら、立ち上がろうとした時だった。

”どうしたの。だいじょうぶ?” と女性の声が聞こえた。

後方に停車した「小型車(マツダ・ファミリアだったような)」から中年の女性が降りてきてオイラに声をかけた。
オイラは ”バツの悪さ” にマゴマゴしてしまったが、”バイクで転んでしまいました” と答えると、
”病院に行った方がいいわ。乗りなさい” とオイラの手を取り後部座席に誘導してくれた。

”あ、いや、大丈夫だと思うんですが” と伝えたが、
”大丈夫とは思えないし、病院で検査した方がいいわよ。それに、そんな姿でバイクで帰るつもりなの?”とご婦人。
改めて、自分の姿を確認すると結構悲惨な状況なのが分かった。
Gパンはボロボロに破れている。膝の辺りから出血。トレーナーもボロボロ。肘から出血。

状況を把握したオイラは、
”ありがとうございます。すみません。ご迷惑をおかけして。。。” とモゴモゴ言ったが、
”バイクは後でいいわよね?、今はどうしようもないわ” と言い、
オイラのヘルメットとスニーカーを車の後部座席に入れてオイラも押し込んで車を発進させた。
車に乗っている間、色んな事が頭をよぎった。。。ご婦人は「オイラを気遣い」ほとんど何も喋らなかった。

峠を下り、
町の病院に着く頃になって体中が痛み出した。
なんだったんだ? 今まで痛くなかったのに。。。と不思議だった。
病院の「車どまり」で停車して、ご婦人に手を取られながら降りた時、左足に激痛が。。。
マジか?骨折か?と一挙に不安と恐怖が押し寄せた。この辺りからオイラの顔は青白くなっていたハズだ。
オイラは無理して ”ケン、ケン” しながら歩こうとしたが、ご婦人が制止。”そこに座って待ってて” と言い残し、院内に助けを呼びに行った。
直ぐに、数人の看護婦、看護師が「ストレッチャー」をガラガラ牽いてやってきた。
”えぇ~、なんか大変なことになってきたぞ。。” と内心めっちゃ焦りながらも、
こうなったら観念。。と思い、より顔面蒼白な顔で「この身を捧げる」のだった。

当時、17歳
社会経験もほとんど無い。こんな時、何を言っていいのやら。。
まるで「緊急24時、交通戦争の現場直撃!」の中に俺が。。。と思いながら、ストレッチャーに揺られて診察室へ直行。

診察室に入ると、
2人の看護師が、 ”いち、にの、さん!” と掛け声を発してオイラを診察ベッドに移動した。
一人の看護婦がハサミを持ってきて、”Gパンを切ることになりますが、同意できますか?” 云々を言っていたが、オイラは ”はい” と言うしかなかった。
破れてボロボロのトレーナーも ”子供” のように脱がせてもらった。もう、なすがまま。。
傷の消毒、応急治療、レントゲン撮影、等など済ませたオイラは、いつの間にか「病院の患者服」を着て、左足にギブス装着されて、暫く結果待ち状態に。。。

”ありゃ~、、俺、入院するのかな?”
さらに顔が蒼くなったオイラに、お医者さんが説明を始めた。
骨は折れてないねぇ。じょうぶな骨じゃ、はははっ。(うっ、笑えないよ)
しかし、左足の甲にヒビが入ってるね。これじゃ痛くて歩けんだろう。(折れてない。よかった。えっ、歩けない?)
1週間は治療と安静のために入院が必要だと思うがねぇ。。
君はこの町じゃないよねぇ~、この病院に入院は無理だと思うからさ、ま、とにかく家族に迎えにきてもらってねぇ。地元の病院に入院を勧めるよ~。
はい、これ。。  ”松葉杖”、 これで待合室まで歩けるよね?、そこで待ってなさい。は~い。お大事に。
あっ、そう、そう、”もう無茶するんじゃ、ないよ~!”

はぁ~。。。マジか。。
初めての ”ギブス” & ”松葉杖”
茫然自失のオイラは、 ”深いため息” を吐きながら、待合室まで歩く途中、そういえば、「ご婦人」は?と思い出した。



オイラとバイク物語⑦ YAMAHA GT50編へ続く

オイラとバイク物語⑤
オイラとバイク物語④
オイラとバイク物語③
オイラとバイク物語②
オイラとバイク物語①



[PR]
by heronx | 2014-04-24 21:19 | バイク


今では信じられないだろうが、
1978年(昭和53年)当時、オイラが高校生の頃は、「バイク通学があり!」だったのだ。

オイラの高校は、高2から原付バイク通学OKだった。

こうして、
ライディングに憑りつかれたオイラは、
ひたすら、誰よりも速くコーナーリングすることに熱中した。

そして、
高3の秋、ついにあの日がくる。

その日も、
峠を目指してGT50を流した。
前もって地図で調べておいた峠だ。まだ一度も走ったことのない所だった。

峠に着いたオイラは、
いつもの通り、先ずは路面と交通状況チェックに時間を割いた。
そして、各コーナーを駆け抜ける「イメージトレーニング」が十分に終わった後、
GT50に火を入れ、想定ラインのトレースを始めた。

1,2,3 順調にコーナーをクリア、悪くない。
次々と、「理想のライン」、「ライディングフォーム」でコーナーをクリアしたオイラは下りヘアピンコーナーに進入した。
慎重にイン側に腰を落とし、ハングオンの体制でコーナーをクリアしよとしたが、

”スルッ”と突然、テール(後輪)が滑り出した

なに?、ダメだ。後輪(の接地感)が抜けた。横滑り転倒だ。
後続車は無かった。見える限り前方に対向車なし。崖からの転落危険なし。
この間、0.1秒ぐらいだろう。
突然襲った想定外の事態に、オイラは「意外なほど冷静かつ瞬時に判断」している自分に驚いた。
スライドしながら投げ出されるバイクを見送り、
「慣性力」と「遠心力」で ”ブーン” と飛ばされたオイラは、
アスファルトの上で横向きに3,4回転しながら、ようやく止まった。。。




オイラとバイク物語⑥ YAMAHA GT50編へ続く

オイラとバイク物語④
オイラとバイク物語③
オイラとバイク物語②
オイラとバイク物語①





[PR]
by heronx | 2014-04-24 08:16 | バイク


今では信じられないだろうが、
1978年(昭和53年)当時、オイラが高校生の頃は、「バイク通学があり!」だったのだ。

オイラの高校は、高2から原付バイク通学OKだった。

GT50 を得たオイラは、
更なるライディングの深みへ突入していった。
飽き足らないオイラは、夏休みになると、早朝から遠くの ”峠” へ馳せ参じた。

しかし、
峠はアップダウンが激しく、空気も薄い。ひ弱な原チャリでは全く話にならない。
なので、もっぱら、ギャラリーと化し、中・大型バイクお兄さんたちのライディングを見学したものだ。

この当時、
なんと言っても花形マシンはヤマハの RZ250 & RZ350 だ。
1980年8月、衝撃のデビューを果たした「水冷2ストロークエンジン」のリアル・オンロードマシン!
REVOLUTIN を全面に打ち出したカタログからも YAMAHA の本気が熱く伝わってくる。
まさにコイツは、世紀のバイクブームを牽引する ”革命児” だったのだ。


d0333104_21271013.jpg

d0333104_21271910.jpg
© Yamaha Motor Co., Ltd.
http://global.yamaha-motor.com/showroom/library/grid/


こいつに跨るには、
「レーシング・スーツ」、「レーシング・グローブ」、「レーシング・ブーツ」、そして「フルフェイス・ヘルメット」が必須だ。
つまり、まんま、レーシングライダーの恰好が要求されるのだ。
この4点着用を怠った者は ”失笑” どころか、下手すると、囲まれたかも知れない。
当時は、それくらい神聖なるマシンだった。
(今見ても、痺れるくらいカッコイイのぅ)

2014年現在、
オンロードスポーツバイクに「2ストロークエンジン」は存在しない。
燃費が悪く、排気煙が出る。ガソリンとは別に2ストローク用エンジンオイルを消費する。
エンジン特性がピーキー(扱いづらい)、、等などの理由で、2000年前には各メーカーのカタログから消えつつあった。
これに沿うように、若者の「オンロードスポーツバイク」ブームも ”衰退の一途” を辿り、「ビッグスクーター」ブームへとバトンタッチされた。

さて、
当時のオイラは、 GT50 に控えめな「カスタマイズ」を施した。
オイラは「凝り性」だが ”ヤンキー” ではない。

なので、
ご近所の手前もあり、「族関係の人」?と思われないよう、バイクカスタマイズにも細心の注意を払った。
先ず、タイヤを変更。ゴツゴツのブロックパターンからロード用タイヤにチェンジ。
次に、ハンドルバーを変更。俗に言う「一文字バー」に変更だ。若干、グリップ部が手前に絞られたヤツだ。
これだけだ。
本当は、吸気系、排気系もカスタマイズしたかったが、騒音が大きくなる改造は避けた。
見た目はほとんど普通のミニトレ GT50
コイツを高校通学に使っても、
”ちょ、ちょっまて。こっちこい!” と、指導員の先生に「裏校門で拉致られる」ことは無かっただろう。

この、
ヒツジ” ちゃんのようなバイクで、田んぼ道を攻略しまくった。
コンパクトで重心の低い GT50 に跨ったオイラは意のままにライディングした。
時々、学友が、田んぼ道に走りにきたり、見物にきた。
オイラが頻繁にステップを擦るため、”ステップ何本変えたん?” とジョークを言われるくらいだった。
自他共に認めるライテク(ライディング・テクニック)。
オイラは心の中でこう呟いた。”俺は羊の皮を被った狼だ” ってね。
まっ、「中二病」じゃないが、完全に「バイク病」だったね。マジで。(^_^;)

この頃、
ベテラン「ケニー・ロバーツ」 と ヤング「フレディ・スペンサー」 が脚光を浴び始めていた。
ケニー・ロバーツとヤーノ・サーリネンと共に「ハングオン」走法を確立したと言われている。
オイラは、ロバーツよりもフレディが好きだった。歳が近かったし、華麗な「ハングオン」は誰よりも速かった。
2輪車でパワースライド走法(ドリフト)を積極的に活用したのもフレディだ。
後のGPライダーに多大な影響を与えたハズだ。

オイラはっつうと、
ヒツジちゃんGT50でコーナーを攻め続けた。
ヒツジの様に振る舞い、街中では大人しく、道交法を順守する。
そして、”ココを攻める” と決めたら、交通状況の観察、路面の調査に時間を割く。
そして、「安全確認、ヨーシ!」となったら、トライだ。
なので、オイラは全く誰にも迷惑をかけずオンロードスポーツを楽しんだ。
なにより、一度もコーナー(カーブ)で転倒したことが無かったのだ。
「慎重にも慎重を重ねる」、それがオイラの中でだった。


オイラとバイク物語⑤ YAMAHA GT50編へ続く

オイラとバイク物語③
オイラとバイク物語②
オイラとバイク物語①




[PR]
by heronx | 2014-04-23 21:01 | バイク

今では信じられないだろうが、
1978年(昭和53年)当時、オイラが高校生の頃は、「バイク通学があり!」だったのだ。

オイラの高校は、高2から原付バイク通学OKだった。

そんな、高3の春、1980年(昭和55年)、

突然の「オンロードスポーツバイク」ブームが到来してきた。

若者へ向けて「ロードレーサーレプリカ」マシンが、
次から次と怒涛の新発売ラッシュ!
その中には原付も入っていた!(そんなアホな、なんでやねん!)

ブームの火付け役は、
1978年発売のスズキ GS1000じゃないかな?

d0333104_18170032.jpg


出典:Wikipedia



「エディー・ローソン」、「ウェス・クーリー」らの活躍で一躍脚光を浴びたのがコイツだ。
GS1000は、POPヨシムラ(吉村秀雄)の「ゴッドハンドパワー」で
ワークスマシンを蹴散らす強さを見せつけた。(イェーィ!最高だぜ~!!ヨシムラ最高!!)

- Wikipediaから抜粋 -
POP吉村が率いる日本が世界に誇るレーシングコンストラクター「ヨシムラ」がエンジンチューンを担当し、スズキが車体を担当してレースで好成績を残した。代表的なものではAMAスーパーバイク1979年1980年の年度優勝。デイトナのスーパーバイククラスで1978年1979年1980年1981年の優勝。1978年の第一回鈴鹿8時間耐久ロードレースでは、当時、ヨーロッパで敵無しの無敵艦隊と呼ばれボルドール24時間耐久レースで連覇していた純レーサーのホンダ・RCBを市販車改造クラスが破り優勝したことでも名を知られている。 鈴鹿8耐1980年1983年の優勝、FIM世界耐久選手権1983年は年度優勝したGS1000Rのベースとしても有名である。


コイツは、「空前のバイクブーム」の先陣を切った「記念碑的マシン」と言えるだろう。

そんな怒涛の ”バイクブーム真っただ中” にオイラ達は投げ込まれたのであった。

とにかく、
その凄まじいメーカー同士の開発競争は熾烈を極めたと言っても過言ではない。
HONDAが新技術を出した、なに~!っとYAMAHAが出す、負けじとSUZUKIが出し、KAWASAKIもガツーンと出す。
ついには、「行くところまで行った」感のある ”凄まじい” 怪物マシンが登場することになるのである。
それは、また別途。

そんな、世間のバイク熱も相まって
オイラはよりディープにバイクにのめり込んで行く。
ただお金が無いので、
ひたすらライディングテクニック磨きに徹した。

オイラは田んぼの農道に目を付けた。
自宅からバイクで10分も走ると田んぼ地帯がある。小山の麓で曲がりくねった農道があるのだ。

ここは、うまい具合に交通量がほとんど無く、
徹底的にコーナーリングを研究するのに最適だった。

オイラは、朝駆けでここを攻めにきた。早朝6時なら全く車両が通らない。
そうやって、オフロードバイクのMR50でオンロードをガンガンに攻めていたのであった。

が、やがて「マシン特性上の限界」に不満を感じることになる。
MR50はオフロードバイク用途であるため、基本設計がオンロードに向いてない。
シート高が高く、ハンドルも高いので、コーナーリング中のアクションも大げさになる。
つまり、無駄な動きが多い。

ついに、
オイラはボロボロ中古のミニトレ(GT50)を自腹で買うことにした。15,000円なり。高3の初夏だ。
お金の無いオイラには、コイツが限界だった。

コイツもオンロードバイクでは無いが、
小ぶりで重心が低く、MR50よりはオンロードに向いていた。
ここでMR50は通学専用バイクとなるのであった。


今思うと、親は寛大だったのぅ。いや、あきれ果てていたのかのぅ。
ありがとう。母ちゃん。
オイラの夢と情熱を、「肯定もせず」、「否定もせず」、見逃してくれたよね。
今のオイラには「到底真似できない肝っ玉」だよ。


オイラとバイク物語④ YAMAHA GT50編へ続く


オイラとバイク物語②
オイラとバイク物語①




[PR]
by heronx | 2014-04-23 08:56 | バイク

今では信じられないだろうが、
1978年(昭和53年)当時、オイラが高校生の頃は、「バイク通学があり!」だったのだ。

オイラの高校は、高2から原付バイク通学OKだった。


クラスメイトも、
「通学許可圏」の者どもは、
16歳誕生日を迎えると、速攻で「原付免許」を取得したものだ。


遊び仲間も、勿論、「原付免許」GET組だ。
当時の高校生(オイラ世代)に人気の原付がこれだ!

スズキ マメタン(OR50)

d0333104_15221809.jpg
画像出典元:Web!ke
バイク用品から中古バイクまで バイク総合情報 【Web!ke ウェビック】



ヤマハ ミニトレ(GT50)

d0333104_14573588.jpg
http://global.yamaha-motor.com/showroom/library/grid/
© Yamaha Motor Co., Ltd.



マメタンは、
アメリカンスタイルの”チョッパーバイク”と呼ばれるヤツで
そのワイルドなスタイルに人気爆発
全国的にオイラ世代の高校生に売れまくったんじゃないかな。


ミニトレは、
オーソドックスなスタイルで堅実なヤツだったが、
既に、オイラ世代でも人気下降気味な存在になりかけていた。
しかし、
当時は、”「ミニトレ」か「マメタン」でしょ?” 的な状況でもあり、
”やっぱ、バイクはヤマハでしょ。”という玄人好みに愛された


そんな中、
オイラはMR50
でも、オイラしか、乗っているヤツ見たことね♪。どこにもね♪。
高校じゃ、他に乗ってるヤツ1人だけ♪。
ハッキリ言うと ”地味~” なバイクだった。


ま、そうだよな。
マメタンが空前のブームだったもんなぁ。

みんな、マメタン
高校のバイク駐輪場はマメタンだらけ。。。

もはや、
通学バイクの「デファクトスタンダード」の座に君臨していたのだ。


じゃが、
オイラはMR50で走り続けた。

雨の日も、風の日も、暑い日も、寒い日も。

最初は ”おっかなびっくり” なコーナーリングも、


高2の初夏には、
”ビッシ!” と決めた ”リーン・ウィズ” で、無駄なく、軽やかにカーブを走り抜けた。


夏には、
砂利道を、”リーン・アウト” でグィ!と決めて、
ドリフト走行!(逆ハン・テールスライド)しちゃって、”走り仲間” をビビらせた。


秋には、
”リーン・イン” 別名、ハングオン!を決めてコーナーを抜けていた。


オイラは完全に、
「走る」、「曲がる」楽しさを覚え、バイクに没入していった。


通学途中のカーブ道は、
オイラにとってサーキット
全身全霊」でコーナーリングしたものだ。


いつしか、
「MR50でステップを擦る男」の名誉ある称号を学友から得るに至った。

(もう、35年位も昔の話だから ”広く穏やかな心” で読んでちょ!)


ところが、
俺らが高3になる前に
突然の
「原付オンロードスポーツバイク」ブームが到来する。

d0333104_21572448.jpg
1980年6月発売、当時の代表的な50ccオンロードスポーツバイク HONDA MB50
出典:Wikipedia




原付バイクなのにオンロードスポーツ??、
”はぁ??、意味ね~、ガキだねぇ~まったく。” と、
俺ら高3組は、”ピッカピカ” の、”めちゃカッコイイ!” バイクに跨る高2後輩を ”バカ” にしていたが、
本心は悔しくて堪らないヤツもいた。勿論、オイラだ!

オイラは、
買い替えできない悔しさを、
更なる ”ライディングテクニック磨き” にぶつけたのは言うまでもない。


 オイラとバイク物語③ YAMAHA MR50編に続く


オイラとバイク物語①




[PR]
by heronx | 2014-04-22 22:05 | バイク


今では信じられないだろうが、

オイラの故郷では、高校生の「バイク通学があり!」だったのだ。

凄いだろ。


勿論、都市部では暴走族が社会問題になっていた頃だ。
かなり後年になって知ったが、
当時「ブラックエンペラー総長」だった
宇梶剛士”(現在:俳優)さんと同年代だったらしい。


幸運なことに、
当時のオイラの故郷(鹿児島)では「高校通学バイクOK!でしょ。だって不便でしょ。」、
”3ナイ運動”。。。ま、”いいでそべつに”。って感じだったのだ。


なので、
バイク通学可能な ”遠い~、遠い~、高校を選んだのでした。。。(^_^;)”

さて、
そんなオイラが購入したバイクはヤマハ「MR50」という原付バイク。


なんで、
MR50にしたのか、今となっては、ハッキリと憶えていない。


購入したのが、
高2前の春休みだったが、
当時の原付で一番大柄な車体だったからだと思う。


それと、
当時最先端のリヤ・サスペンション、”モノサス” が魅力的だったのだろう。


これが YAMAHA MR50 だ!(懐かしいのぅ~)

http://global.yamaha-motor.com/showroom/library/grid/
© Yamaha Motor Co., Ltd.

d0333104_01152217.jpg

オイラはこのバイクで高校時代を満喫した。
遠出もしたな~。燃費も良かったし高校生の懐に優しかった。
本当、いいバイクだった。
このバイクのお蔭で、高校生活も楽しく過ごせたのであった。


オイラとバイク物語② YAMAHA MR50編 へ続く~





[PR]
by heronx | 2014-04-22 01:23 | バイク

ヨシムラ

それはバイク乗り、つまり ”ライダー” には特別の思いがある。
そう、50歳以上のバイク乗りには特に。

先にプロジェクトX - セブンイレブンを紹介して思い出したので 「ヨシムラ」 も紹介したい。

プロジェクトX 挑戦者たち 不屈の町工場・走れ 魂のバイク [DVD]



マジでドラマだぜぃ。ヨシムラさん。

オイラは泣いたね。実際。
男のロマンつうか、奇跡っつうか、「不屈の信念」 が巨大企業を打ち負かす。
1978年第一回鈴鹿8時間耐久ロードレース優勝。震えるぜ。

すごいぜ! 吉村秀雄

神が宿る男。神の手を持つ男。不器用な生き方を選ぶ男。決して屈せず諦めない男。
見た目からは想像もできないほど熱く燃える魂を持った男。

あんたの生き方が好きだ。

ありがとう。「ゴッドハンド」=「吉村秀雄」様。
オイラもバイクに夢中でした。


--------------------------------------------------------
[PR]
by heronx | 2014-04-04 22:19 | バイク