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筋トレおやじの明日があるさ!

バイク: オイラとバイク物語⑦ YAMAHA GT50編


今では信じられないだろうが、
1978年(昭和53年)当時、オイラが高校生の頃は、「バイク通学があり!」だったのだ。

オイラの高校は、高2から原付バイク通学OKだった。

人生初の大転倒を喰らったオイラは、
病院の待合室で ”はたっ!”親切なご婦人のことを思い出した。
いないようだなぁ。。受付の人に聞いてみるか。。
オイラは受付の女性に確認した。
オイラを運び込んだ後、”用事も有りますし、失礼します” と帰りかけたそうだ。
慌てた受付の女性は、 ”連絡先だけでも” と引き留めて、確認を取ってくれたらしい。

そうだったのか。
ちゃんとお礼を言ってなかったなぁ。用事があっただろうに、わざわざ逆方向に引き返して病院までオイラを運んでくれた人。申し訳ないです
後で、ちゃんとお礼に伺います。。。

オイラは「自責」の念に胸が熱くなった。
俺は誰にも迷惑をかけずに走っていた ”ハズ” なのに。。
「慎重にも慎重を重ねる」のが俺の掟だったのに。
なんだ!このザマは。。。情けない限りだ。。。

この期に及んで、
泣けてきたのであった。
ここは病院、例え泣いてても構わないだろうが、オイラはグッと唇を噛みしめて堪えた。泣いたら負けだ。

迎えがくる間、
何度も、何度も、転倒原因を振り返った。
思い当たるフシがない。
なんだったんだ。
同じようなコーナーは経験済み。
路面のチェックもした。
進入速度も限界を超えていたとは思えない。

分からない。
敢えて言えば、「テクニックを過信した心の緩み」が原因だと結論付けざる得ない。
ライディング技術と理論を過信し、”スピリッツ(魂)” を忘れていたのだろう。
俺の中に「全身全霊」が居なくなっていたのだ。
慎重派のオイラだったハズ。ブザマ過ぎるぜ。。。

3時間近く経って、
齢の離れた兄貴が軽トラでやってきた。
最初に「免許証」情報と「電話番号」を聞かれ、受付の人が実家に電話していた。”迎えにきてください” と伝えていた。
オイラを見つけるなり、”なんしちょっとかーー!” と凄みの効いた声と顔で一喝。
”あんたはいつでも怖いよ” 兄に反抗していたオイラは黙ってうつむいていた。

病院の支払い等を済ませた兄は、
「松葉杖」と「患者服」を返却、オイラの「首根っこ」を引っ張り、急き立てるように軽トラの助手席に押し込んだ。
運転席に乗るなり
”こんバカが~! オイは仕事でいそがしかったやっど! オマエを運んでくれた「おばさん」には、後でオイからお礼すっでな!”
と、オイラを叱責。パンチを喰らうかと思いきや、「やるせない顔」をして車を発進させた。

病院を後にして、
バイクの回収に向かった。既に16時を過ぎていた。現場までは、”そこ右”、”そこ左、暫く真っ直ぐ” と、オイラがナビ役だ。
朝7時に家を出発、9時に現地着、9時30分頃にクラッシュ!、10時に病院。。。16時過ぎててもおかしくない。
現場に到着、兄貴がバイクを回収し、17時過ぎ、ようやく一路家路へ。

お互い無言の兄弟。
日が暮れ行く道を、西日を浴びながら進む「軽トラ」車内は異様な緊張感。
10月も末、東京だとかなり暗くなる17時過ぎだが、この鹿児島はまだ夕暮れ少し前って感じだ。
そんな、ゆっくりと暮れ行く ”田舎のバイパス” を、「軽トラ」は ”無言のまま” 走り続けた。

この時、兄はどう思ってたんだろうなぁ。
”まったく、このバカが。勉強もしないでバイクばっかり、いい迷惑だ!” って思ってたのかな?
それとも、少しは心配してくれてたのかな?

当時、
めちゃくちゃ兄貴に反抗していたので、会話することはほとんど無かったのだった。
50過ぎた今でも、兄貴と話すことは無い。もう、7年近くも一言も話してない。
もちろん、オイラは「東京」、兄貴は「鹿児島」という地理的問題もあるけどな。

そう言えば、朝出発前に食パン2枚食べただけで何も食べてなかった。

オイラは兄貴に一言、”はらへった。。。”


オイラとバイク物語⑧ YAMAHA GT50編へ続く


オイラとバイク物語⑥
オイラとバイク物語⑤
オイラとバイク物語④
オイラとバイク物語③
オイラとバイク物語②
オイラとバイク物語①




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by heronx | 2014-04-25 08:30 | バイク